2014.01
ともに成人となったあゆちゃんと双子の妹、ゆりちゃん。
検診でダウン症の疑いがあるといわれたのはゆりかの方。
3人も子供がいればいろんな子がいるよね、くらいに、泣きもせず、不思議なほど平然とその言葉を受け入れていた31歳の母。
泣いたのはもうちょっと先になって。
お腹のふたりの命が危ぶまれたため、点滴につながれ、人間保育器と化してトイレに行くことも許されなかった4か月間の入院中、
しょっ中ゆりかの心音が低下してアラーム音がけたたましく響き、ばたばたとドクターやナースが駆けつけた時。
厳しい表情で専門用語をやり取りし、きびきびと手を動かす彼らに囲まれて、二人は生きて生まれてこれるのかと、怖くて声を出さずに泣いていた。
そして想像した。
おなかの二人が会議してるところを。
この世は生まれてくるに値するのかどうか、
お腹の中でさえこんなに苦しいのに、生きていくことはどんなに苦しいことか、いっそ生まれてくるのをやめてしまおうか、
それとも生きることは、何か、すばらしいことなのか、試しに生まれて実験してみようか、と。
ふたりは満身創痍で生まれ、命の峠をいくつも乗り越え、20年の実験を重ねた。
生まれてみることにして良かったと思っているのかどうか、実験の途中経過はどんなものなのか、ふたりに聞いたことはない。
でも母はふたりの決断を、言葉にできないほど感謝している。
そしてかなうことなら傷だらけの、あまりに小さなふたつの命を委ねられ、涙にくれていたあの若い母親に、この20年後を見せてあげたい。
そして告げたい。
どんな命も迎えようとしたあなたは、今、愚かだと責められているけれど、大丈夫、間違ってなんかいないから。
ただ子供達と一緒に生きればいいだけだから。
その果てには、あなたにしか見えない素晴らしい景色が待っているはずだから、と。